にっこりんファトワー

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"何か"があると思って都会暮らしをした

 

 一度都会に住んでみたいと、ずっと思っていました。特に頻繁に都会に出ていた訳ではありませんが、何故か人の集まる街というものに強く惹かれていました。もともと田んぼが目立つ大阪郊外に実家があり、二十余年ここから出ることなく就職まで済ませたことが原因でしょうか。未来の大筋が見えてきた人生を一変する"何か"を求めて、密度の高い空間に行きたかったのかもしれません。

 ちょうど家族との生活も嫌になってきており、実家を出ることにしました。仕事を変える気は無かったので、現実的に通える中で一番の都会、つまり大阪の中心部で新居を探しました。

 

 

 8部屋ぐらい内見して、単身用マンションの部屋の狭さに驚きつつ、予算オーバーですが気に入ったところに決めました。通勤時間は少し長くなり、あらゆる人から「なんでそんなところに引っ越したん?」と不思議がられましたが、都会の生活を楽しんでやるぞと意気込んでいました。

 新居はオフィスビルとマンションが入り交じるエリアで、中心部の割には昼も夜も静かでした。マンションも質が良いのか、周りの物音はほとんど聞こえません。

 

 

 引越しして、すぐに街の雰囲気が気に入りました。店の入れ替わりの激しい新陳代謝が高い街は、活気が感じられて常に新鮮でした。徒歩圏内に無数に存在するカフェや居酒屋を制覇してやろうという気概でいました。

 しかし、いつしかそんな何でも体験してやろうというギラギラした意欲も薄れ、気がついたら実家と場所を変えただけの、なんてことない日常になっていました。

 

 

 よく休日昼や深夜に、散歩と称して何時間も東西南北に彷徨いました。目的地は無いのですが、一度通った道は極力歩きませんでした。街のふとした片隅に自分の幸せが転がっていて、よく探さなければ辿り着けないと信じていたのかもしれません。

 整然たる大阪市街の碁盤の目の中で、下手すれば地平線が見えそうなぐらい一直線の路地は、これからの私のつまらない人生を暗示しているかのようでした。

 わざわざ都会に住み始めたのも、街を歩き回ったのも、一見すると積極的なようですが、本質は不可逆的な行動を避けた一時しのぎでしかなかったのです。何か人生を変えるような出会いを期待する割に、人間嫌いは相変わらずでした。何か面白いことがあると良いなと漠然と思っていただけだったのですが、自分自身が根本から変わらなければ何も変わらないという、当たり前のことを思い知らされました。

 住む街が自分を劇的に変えるなんてことはなく、どこに居ようと自分の能動性が試されているのです。

 

 

 結局、何をするにも便利な場所ですが、何かをするバイタリティが薄れてしまっては地価の高い場所に居座る理由がないので、早々に退去しました。入居から1年と1ヶ月経った頃でした。

 転出届を出しに中央区役所へ歩いていく途中、農人橋交差点の大きな歩道橋を上がったときのことです。ワクワクしながらちょうど同じルートで転入届を出しに行った記憶がフラッシュバックして、馬鹿みたいですが思いがけず涙が出ました。

 現在は、郊外の安い賃貸で騒音に悩まされています。

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